昨今の晩婚化について真面目に考えてみる

ふとこんな記事みたんで
http://alfalfalfa.com/archives/5092870.html
昨今の晩婚化について考えてみる。


確かに俺のまわりでも、いい年で未婚のやつは多い。
男女ともに、だ。俺も含めだが・・・


ある程度の給料は手元にあるとは言え、
確かに女を食わせていけるような余裕はとても無いのが現実だ。
正直自分で精一杯。

俺がモテないという決定的事実もあるのだが、この際置いておこう。

仮に俺がモテるやつだったとしても、俺の年収(一応人並みと思っている)で結婚してガキとヨメを食わせられるかと言うと
かなり厳しいよねって話。


だが、かなり厳しいが不可能な話では無い。
金はこの際、決定的な理由では無いような気がしている。


昔の連中は厳しかろうが、アホのように子供こさえていた訳なんで。

「自分がどうなろうが貧しくなろうが子供さえ残っていれば良い」

一見、この社会においては無謀にも思える思念だが、生物的には正しいかと思われる。
親なんて子供が立派にさえ育ってくれた後は、もうそれで用済みな訳なんだから。(あくまで生物的には、ね。)



少し話を大きくしてみる。

人間の固体それぞれは、そりゃ自分が一番可愛いし、自分を劣悪な環境にはおきたくない。これは俺自身もそうだし当然だ。
しかし種全体としては、この考え方は「ほどほどにしとかなきゃならん」はずなんだよね。
前述のとおり、次の世代にバトンタッチした後は、使い物にならなくなったジジババは重荷になってしまう訳なんで。

種が進化するには、円滑な世代交代は必要不可欠なはずなんで、これを妨げるような行為(重荷を増やすこと)は
自分たちにとって自殺行為なはずだ。


しかし今の日本はどうだろう?
ジジババ達が自身の利権を貪り食い、若い次世代連中が泥水をすすり、
しまいには、孫世代を産み出さなきゃならん世代もその任務を放棄しざるを得ない状況が構築されている。

これは単にジジババを責めるだけでは話が終わらないような気がしている。
ある意味、われわれ種の選択であるかのようにも思える。

まるで、これ以上の進化を望んでいないかのような・・・


コンピュータの登場・普及以来、人間の進化は、それの登場以前と比較して
とんでもないスピードで進んでいるような気がする。

あらゆる情報を一瞬のうちに共有し、あらゆる情報を一瞬のうちに解析できるようになった。
火の発見を人間の一つのターミングポイントとするのであれば、コンピュータの開発も間違い無く
我々人類にとってのターミングポイントとなっている事であろう。

このような状況の中、人類がコンピュータの利用に更に特化した形で進化を続けた場合、
何が起こるのであろうか?
ひょっとしたらそこに待ち受けるは、SF小説さながらの自滅世界なのかもしれない。

効率性を求めるあまり姿を保てなくなり、この世の全ての真理を理解した人類は
生きる事すらも無駄であると結論を出してしまうかもしれない。

そして、我々はそれを無意識下において認識・予測しているとしたら・・?(個としてではなく種全体の意識として、である。)
その場合、我々種がどのような選択を取るかは、さして頭を使わずとも導きだされるはずだ。

進化を止める、もしくは少しでもゆるやかな速度とするのである。


進化を止めるのに最も適した方法は繁殖の阻止であるし、
速度の低下を求めるのであれば、出産の時期を少しでも遅く(晩婚化)してやり、サイクルをゆるやかにすればよい。


コンピュータを日常的に扱っている先進国ほど晩婚化が進んでいるのも、
それを持たない国々の人たちに比べ、進化という観点で我々は既に一歩彼らよりもリードしてしまっている証明なのかもしれない。


つまり晩婚化は更に続き、人類は自然にその数を減らし進化を拒む。
その過程にスタートラインに近年さしかかっているのではないか、と。




と、いう妄想でした。

寝る。